勝間 VS ひろゆきで思ったことを出力テスト

お久しぶりです。全くもって定期更新ができてないですが、ほそぼそ続けていこう。

GW中なんだかんだでネット環境から離れていたんやけど、その間にテレ東系BSの「デキビジ」って番組での勝間和代ひろゆきの議論が話題になっていたので乗り遅れて今更だけど見て思ったことを出力テスト。
あまりまとまってないけど。

見たのは以下のリンクから。全編は探したけどないようなので見れてない。
Youtubeに上がっているYouTubeYoutubeに上がってない部分のまとめ勝間和代ブログ「2chはIPの開示に積極的であるというひろゆきさんの注目発言について」を高木浩光氏が検証したまとめ - Togetterだけ。


んで、思ったことは、ここまで噛み合わないとおもしろすぎる。
勝間和代が『お互いに自分のフィールドに逃げてしまって・・・』って言ってるんだけど、勝間和代が自分フィールドにひろゆきを引きずり込もうとしてるのに上手く行かないから『だめだこれ』なんて発言が出るんじゃなかろうか。ひろゆきは「山田太郎」という名前を「名無しさん」と同じように個人を特定できないメタな名前の例として出しているのに、勝間和代は名前は実名で書くんだから山田太郎と言う名前で個人が特定できると主張している。つまり偽名とかハンドルネームとかって言う考えを無視して、自分の頭の中で出来上がってる実名だけのネットと言う世界を前提に話をしているように見える。完全に相手のフィールドを見ずに自分のフィールドだけで議論を進めようとしている。そりゃ噛み合わないよ。


発信者の名前付ってのは、実名と、ハンドルネームと、匿名(2chとか増田とか)と言う段階があると思うんだけども、勝間和代はそのすべてを実名で統一しようという考えなんだと思う。ハンドルネーム、匿名という段階に分けて考える必要があるのに両方とも実名すればいいじゃないと言うのは乱暴すぎる。


現状では多くの人が複数の名前(ハンドルネームとかIDとか)でネット上で情報を発信している。それは、ネットがオープンな世界だからだと思う。非ネット社会では家庭とか、会社とか、学校とか、サークルとか、そういったコミュニティが空間的壁で仕切られていて、それぞれの場所で別々の顔で生活している。だから同じ名前(実名)で生活していても、周りの状況によってそれぞれの顔を使い分ける事ができる。

一方ネットの中では基本的にオープンだ。(このブログはアドレスさえ知っていれば誰でも見れる。)バレた時点で壁は無くなる。そのために別々のハンドルを作ってそれによって別々の顔を作っている。つまりネームを知っているかが壁になる。
非ネット社会でも、何か情報をオープンにする場合にはペンネームなどの名前で本名と紐付けされないようにする場合が多々ある。それは個人の特定の部分しか見せたくないからだと思う。
これを完全に実名にしましょうと言われてもねぇ。


なんかもっと書こうと思ったんやけど、考えがまとまりきらないのでまた後で。