「文章書けない」子供だった自分が思うこと。


最近まったくブログを書いていなかったのだが、久しぶりに書いて見ようと思う。
というのは、自分の事のようで無視できない記事を見つけたからだ。

「文章書けない」問題を抱える子供たち(ディスグラフィア) - michikaifu’s diary

リンク先を読まない人のために書いて書くと、学習障害の中に「ディスレクシア(読字障害)」というものがあるらしい。
文章が書けない、字が汚い、漢字が覚えられない(またはスペルが覚えられない)などの障害を指すらしい。


今でもそうなのだが、自分は字が汚い。小学生の頃からとてつもなく汚い。ートを自分で見返しても、書き残そうという気がなくただただ書いているようなノートは自分で後で見返しても読めないくらいだ。習字にも通ったが一向に上手く(というか、読める字に)ならなかった。


そもそも字を書くということ自体が嫌いだった。小学生の頃は全く漢字が覚えられなかった。漢字テストではいつも0点を取り、そのたびに追加の漢字練習の宿題が出された。もともと宿題を言われる前にやるような子供ではなかったが、漢字の書き取りの宿題は特に憂鬱だった。
一番苦だったのは、同じ字をなんども繰り返し書かされることだった。何度も字を書いてるうちにイライラしてくる。自分の頭の中ではもう5文字くらい書いたつもりなのに、書くのが遅いせいでまだ3文字くらいしか進んでいない。
頭のイメージの速度で字を書くと、丁寧に書いても汚い字がさらに汚くなってミミズのようになり、字ではなくなる。そんなものを提出しても怒られるだけなので、書き直さなくちゃいけないと思うとヤル気が無くなる。
また、丁寧に書く気力があるときでも、そのうち自分の書いてる字が合ってるのか不安になってくる。(当時はゲシュタルト崩壊なんて言葉は知らなかった。)字がバラバラになって書けなくなってくる。

漢字テストの時にもゲシュタルト崩壊はよく起こった。回答を書いて見直すと間違っているような気がしてくる。そうなるともうダメだ。「人偏じゃなかったんじゃないか」とか「ここは2本だっけ3本だっけ」とか、そのうち他の字まで間違っているような気がしてくる。(繰り返すが、当時はゲシュタルト崩壊なんてものを知らなかった。そのため自分の頭がおかしいのだと思っていた。)


そんな自分に母親は根気よく付き合ってくれて、先生に漢字の宿題を出さないでくださいとか、漢字テストを休ませてくださいとか言ってくれた。(今思えば、あまあまで過保護な気もするし、先生側からしたらモンペアと呼ばれてもおかしくないだろうけれども。しかしそれでも、自分は母親に救われたと思う。)


今あらためて振り返った時に、学習障害だったのかと問われれば正直よくわからない。ただ単に甘やかされて育ったというだけなのかもしれない。いま現在でも字は相変わらず汚いし、漢字を覚えるのも苦手だ。それでも、小さい頃から本を読むのは好きだし、漢字の成り立ちなどから漢字に対して興味をもつことも出来た。そして、小学校の頃勉強が全くできなかった(自慢じゃないが九九を覚えるのも遅くクラスでビリから2番目だった)自分でも大学に入り(浪人したけれども)そして今大学院で勉強している。


自分が言いたいことは、小さい時に字が覚えるのが苦手だの、算数が苦手だのというのは小さなコトじゃないかということだ。甘い方法だと言われるかもしれないが、子供の覚えが悪くたって大目に見る事が必要なんだと思う。

それに教え方というのは一つじゃない。リンク先には文字を書くのが苦手な子にパソコンで文章を書かせるという例が紹介されていた。自分もそういう教育を受けていれば、もっと文章を書くのが好きになったかもなぁと思う。